1994年、成都ジャイアントパンダ繁殖研究基地と日本白浜動物園の「中日ジャイアントパンダ国際繁殖協力長期計画」が始まりました、その同時に「梅梅」の日本の旅も始まりました。中日双方の専門家たちの努力によって、白浜動物園で海外最大なジャイアントパンダ人工繁殖群が確立しました。
パンダ「梅梅」は1994年生まれ、初めての発情期を迎えたのは五歳の時(1999年9月4日)、その時に双子が出産しました。六歳の時に(2000年7月7日)中日双方科学研究協力のため、日本和歌山白浜動物園へ行きました。同年の9月6日に日本で「良浜」を産みました。あと数年の間に何匹の赤ちゃんを生んだ、また多くの一番を作り出した、彼女は母性に溢れるパンダです。
「「梅梅」は1994年生まれ、その後だんだん綺麗になった、さらに素晴らしい母でした。
1999年9月4日、「奇珍」と「奇缘」の誕生によって、「梅梅」は初めて母になりました。「奇珍」が生まれた時、経験のない「梅梅」は目の前のこの全身赤くて毛が生えていないおちびちゃん(「奇珍」)に驚いた、慌てた「梅梅」は「奇珍」の胸のみずみずしい肌をほとんど引き裂きました。幸運なことに経験豊富な飼育員が傷ついた「奇珍」を守った、そして傷口を七針も縫った。「七針」の手術を記念するため、皆は「奇珍」と名付けました。(中国で「七針」と「奇珍」の発音はほとんど同じです。)
2000年9月6日、「良浜」が生まれ、これは「梅梅」異国で始めて産む子供だが、その時の「梅梅」はすでに上手なお母さんでした。
2001年12月17日、「雄浜」が生まれました。普通人工飼育したパンダは春で発情秋で子を産むだが、今回の「梅梅」は違って秋で発情冬で子を産む、これが人工飼育したパンダ初めてのケースでした。
2003年9月8日、「隆浜」と「秋浜」が生まれ、「梅梅」は再び双子を産みました。今回彼女は自分の子供を傷つけないだけでなく、また自分で子供を育てます。これが今まで人口飼育したパンダ自分で双子を育てる初めてのケースでした。
2005年8月23日、「幸浜」が生まれ、同じに「梅梅」が自分で子供を育てました。
2006年12月23日、「明浜」と「爱浜」が生まれ、これが「梅梅」最後の出産でした。
パンダ「梅梅」は多くの一番を作り出した、すでにパンダ海外繁殖の「英雄的な母」でした。母性に溢れる「梅梅」は2008年1月ごろ体に異常が現れ、同年10月15日の夜明けに亡くなってしまいました。彼女の14年の歳月の中で計10匹のパンダを生んだ、現在日本に滞在する子供は「良浜」だけ、ほかの子はすでに帰国、成都ジャイアントパンダ繁殖研究基地で暮らしています。「梅梅」の子孫も彼らの母と同じように、その優秀な遺伝子を次世代に渡すこと、また世界中でこの愛と平和を代表する「黒と白の使者」が好きな人たちに喜びを与えることを願います。